子宝どっとこむ

 

 注意すること

  • Jun232004
  • Author: Vulcan
  • Categories: 駄文

注意するということは難しいです。

部下に注意する、社長に注意する、家内に注意する、子供に注意する、兄弟に注意する、親に注意する、いろんな注意があるわけですが、相手のプライドに傷がつかないように注意するということは非常に難しいです。

そもそも注意をしなければならないときというのは、その人の根源に近い部分に関しての注意が多いわけで、見るに見かねてという場合が多く(つまり逆鱗に触れる)、そうでなければ敢えてデリケートな部分に踏み込んでまでして注意するのは得策ではないし、ほっておくでしょう。

自分が注意されたら、やはりむかつきます。自分の失敗に対しての注意であれば多少は納得もいくが、それでも折に触れ掘り返されて注意されたら腹が煮えくりかえるでしょう。自分の性格や無意識の挙動、習慣等簡単にはどうにもならない部分を注意されたとしたら、(どうせえっちゅうねん)となるに決まっています。

三つ子の魂百までというように、性格は一生直らないのかもしれません。また、例えば自分は整理整頓が下手で、常に机の上はぐちゃぐちゃで、これはうちの会社の社長も同じです。

後ですぐ使う可能性が高いものを遠くにしまうことが馬鹿らしい、仕事を同時に一杯抱え込む、一段落したら完了前に他の仕事に手をつける、といった性格が二人には共通しているようで、この帰結として机の上が汚くなるわけですが、こうした習慣も性格に根を張ったものであるため直らないとあきらめています。

そういうわけで、そうした性格に深くかかわる部分に関しての注意ぐらい無駄な努力に思えることも無いのですが、誰でも自分を基準にしてしまうため、注意すれば直ると錯覚してしまいます。自分には簡単にできることだから誰でも努力したり気をつければできるだろうと考えるわけです。逆に他人には簡単にできて自分には到底できないことを思い起こせばこれが錯覚であることは容易に気がつくはずなのですが、そこが見えにくくなるから困ったものです。

結局、その人の持って生まれた性格、能力に合わせて、期待値を変化させ、多くを望まないことが寛容なのだろうし、それが人付き合いの極意な気がします。さらに、注意という行為を取らないで、注意と同様な効果を達成できるとすればそれは非常にすばらしいことです。例えばゲームのように楽しみながら、あるいはほめたりおだてたり、達成感を味合わせたりなどは効果があるでしょう。

人の上に立つということは、その人の性格と能力を見極め、性格的にふさわしい業務のタイプが何であるか、どの程度のボリューム・難易度まで達成可能か、無理なく達成させるためにはどう導いたらいいか、成長が止まって停滞しないようにするためにはどう刺激し続けたらいいだろうか、そうしたことを常に考えながら、コミュニケーションを多くとって信頼関係を築くことが重要なのでしょう。いろいろと反省することが多いです。

優秀なプロ野球選手が優秀な監督になるとは限らないのと同様に、優秀な社員が優秀な上司になるとも限らないわけですね。

 Trackback Pings(0)

No trackbacks found.

 Comments(0)

No comments found.

 Post a Comment

コメント用フィード