子宝どっとこむ

 

 人生の岐路における選択

  • Jul272004
  • Author: Vulcan
  • Categories: 駄文

人は人生の中で何度か進む道を決断します。

交際を申し込むかどうか、交際を申し込まれてYesの返事を与えるかどうか、結婚するかどうか、大学の選択、就職先の選択と退職の決断、家(マンション)の購入、子供の進路などの大きな選択から、点滅する信号を強行するかどうか、お昼ご飯をどうするか、帰る時間と乗る電車の選択等の小さな選択まで。

全ての選択には100%の正解はなく、51%と49%の僅差の中での二者択一であったり、自分の希望、子供の希望、妻の希望等のどれに重みを与えるかによって選択すべきものが変わってしまったり、短期的に見た効果と中長期的に見た効果との比較によりどちらを重視するかで結論が変わったり、思いつきやその場の雰囲気でなんとなく選択していたり、要するに、好みであったり、性格であったり、フィーリングであったり、縁起を担いだり、そうしたあいまいな感覚が選択を行う基準となるわけで、結局、正しい選択というものは誰にも分からないし、何が正しかったのかという評価は無意味でさえあります。

したがって、正しい結論を出すために熟慮するというのは、悪い発想ではないのですが、結論が出ない場合には正しい結論などどこにも存在しないのだと気づくことが大切です。

こうした選択の連続がすなわち人生そのものであり、運命であるわけです。

運命とは自分で切り開くもの、自分の選択によって異なってくるものではありますが、自分の選択しなかった道がどうなっていたかは誰にも分からないのだから、後になって振り返れば運命と表現するほかありません。気をつけるとしたら、運命が(人生を)選択をするのではなく、選択の結果(人生)が運命なのであって、つまり、人生を受け入れることです。

『掲諦(ギャテイ)掲諦(ギャテイ)波羅掲諦(ハラギャテイ)波羅僧掲諦(ハラソウギャテイ)菩提薩婆訶(ボジソワカ)』

あらゆる囚われが脱落する境地というのは、「今ここわたしこのままでいい」という、たったひとつの真理であり、一瞬一瞬今ここわたしこのままでいいと、永遠に続く一瞬一瞬を囚われなく生きるということになるそうな。こうした境地に立つことができたなら人生を受け入れることができるし、自分の選択に対して後悔することもないでしょう。

『色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』

この存在に関する真理が好きになりました。このフレーズをそっと唱えるとホッとします。

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