子宝どっとこむ

 

 自宅出産に向けて・・・(2)bianの出産話

  • Sep242005
  • Author: NameP
  • Categories: 子育ち

bianは2001年10月22日(月)の21:33に生まれました。3556gの「白くて大きな赤ちゃん」(←出てきた瞬間の助産師さんの言葉)でした。

初産だったし、当たり前のように「神戸の実家に里帰りして、自分の生まれた産院で産もう」と妊娠発覚当初から考えていました。満8ヶ月で仕事もクビになったことだし、結婚してから長期滞在はしていない実家に親孝行と思って帰ってあげよう~くらいに考えていました。

当時は通勤の便を考えて江東区に住んでいたので、徒歩25分くらいの、評判の良い女医さんの産院で9ヶ月目まで検診を受けていて、臨月に入る直前の35週で新幹線で移動し、産後1ヶ月まで滞在していました。

実家に帰ると家事労働は減るし、2人分とかいって食べさせられるし、車生活なので、あっちゅー間に太りました!(=~=)
27歳という年齢からか、昔からの友達も近くに住んでても忙しく働いていて、そうそう遊んでもらえないし~と平日はヒマ~ヒマ~と家でゴロゴロしていたら、親切な親友がTVゲームのソフトを貸してくれたので、朝からずーっと実家の人間が出かけている時間中TVゲームをして、眠くなったら寝て、を繰り返していたので、太って当たり前ですね☆(爆)


毎週末には、Vulが「まだ生まれないかな?」と気にして&まともな食事を求めて、新幹線で通ってきてくれました。だから土日は主にVulと出かけたりして過ごしていて、「生まれたらしばらくは無理かな?」と映画を見に行ったり、子供服を見たり、ショッピングモールによく居る家族連れを眺めて「赤ちゃんが居るとあんな感じ?家族4人だとあんな感じ?」などとイメトレをしていたりして(笑)、周りの様子を見ながらも夫婦2人だけの生活も最後だね~と満喫していました。(←だから昔からの友達とも会えない)

予定日が10月22日だったので、「1週間くらい早く生まれてくれたら、1週間早く東京の家に帰れるのにな~」と10月に入る頃には既に言っていました。9月15日くらいに移動したので、わずか2週間で実家生活に嫌気が差していたのですね~!(私は実家嫌いの女★) Vulも笑いながら毎週通っていましたが、「まだ生まれないだろ」と言って10月10日くらいの週末には一度来なくなって、「えーんえーん、さびしいよ~」とブルーになってたりしたので・・・精神的にとても不健康でした。(^_^;)


そして「いよいよ予定日だぞっ」という10月19日(金曜日)の夜に新幹線でやってきたVulと、「この週末に生まれてくれたら立ち会えるよね」と楽しみにしつつ、「ご先祖頼みでも行くか」と、この頃には心配してどこでもついて回ってくれているNameP母と一緒に、それぞれのご先祖様のお墓を2箇所巡って、「無事に元気な赤ちゃんが・・・是非とも今週末に!生まれますように・・・」と祈りを捧げに回りました。(^_^)


しかし。

21日(日曜日)の夕方になっても一向に気配は訪れず、「もう帰っちゃう?」と半泣きで私が悲しんでいたら、「うーん・・・じゃぁ明日の朝の新幹線にすれば会社には行けるから・・・でも明日の朝に気配が無ければ一旦帰るからな」と決めて、残ってくれました。
「わーいわーい♪」と単純に”一緒に居られること”に私は喜んでいたけれど、晩ご飯を食べた後、Vulは「こうなったら念を送るしかない!」と当時流行っていた陰陽師を真似て、「ヒュッ!ヒュッ!」と口から気を出しつつ手刀(?)を振って「今晩中に陣痛が起これ~」と念じてくれました。どうしても立ち会ってから帰りたいってことだね!(笑)


そしていよいよ22日(月曜日)の朝。

6時に、「帰るならもう起きなくちゃ」とウトウトしていた頃、お腹がシクシクと痛いような気がしました。枕もとの携帯を見ると6:12だったのを覚えています。生理痛かな?といった軽い腹痛で、「昨晩食べ過ぎたかな~」とか呑気に考えて、またウトウトしていたら、またシクシク。何気にまた携帯を見たら6:19。またウトウト→シクシク、6:26。

「あ、気がつけば7分間隔じゃない?」と初めてハッキリと目が覚めて、次の痛みを待ってみたら、キッチリ7分後にまた同じようにシクシク痛む。「お~っ、来た来た!Vul起きて!多分陣痛だよ?」と起こすと、「え~?」と寝ぼけていたけど、「7分間隔なんだよね」と伝えると「なにっ?!」と急に慌ててガバリと起き上がりました。(笑) 
そこで、「もう3回7分間隔なんだよね・・・12分、19分、26分、33分、と来てるの。次は40分だから、それがキッチリ来たら下に降りて行って母上に”来た”って言おうよ」と待つと、キッチリ6:40にシクシクが来ました!(^_^)

「やったぁ!今日中に生まれるかな~?昨日帰らなくて良かったね、トンボ帰りだったよ~♪」と喜び勇んで階下の母親に陣痛発生を伝えたところ、「いよいよね!まぁ・・・とりあえず産院に行ってみたら?」と言われたので、身支度をして徒歩5分の産院まで歩いて行って、8時45分の診察前にNSTを当ててもらったら「あ、きてるね」と言ってもらえました。しかし助産師さんは「今日中だ、とかは言えないよ~?診察では子宮口もまだ1cmだし・・・初産は判らないからね~」と言っていたので、「じゃぁとりあえずヒーッってなるまで自宅で様子をみています」と伝えて帰宅しました。

NamePの母親は月曜日はヘルパーの仕事に行ってしまうので、出発ギリギリのところに帰宅して「もっと限界まで待つから」と伝えたら「ワカッタ☆昼からの仕事の前に一度帰るから」と言って仕事に行ってしまったので、Vulと2人でイチローが活躍している大リーグの試合を眺めながらゴロゴロしつつ「お腹のシクシク」を感じていました。


ところが12時になってもイマイチ痛みが強くならず、「朝よりは痛いけど、生理痛がヒドイって感じかな・・・ヒーッ陣痛だよー助けてーって感じにはならないな~」とVulと話していたら、Name母が帰宅。「どう?」と聞かれたので、「痛いけど、イマイチ強くない。7分間隔なのも変わらないんだ」と伝えたら、「そんなゴロゴロしてるからよ!おうどん作るから、食べたら洗濯でも干して動き回らないと!」とドタバタと動き回りながら言われてしまいました。そか・・・果報じゃないから寝て待ってちゃダメだったのかな?などと言いながら言われたとおりに動き回ってみたら、1時間で良い感じに痛くなってきた~(^_^;)

しかし、Name母は昼から2件目のヘルパーにも行くので、「だいぶん痛そうだけど、まぁまだまだなんじゃない?私は2時間で帰るから、とりあえず縦になっときなさい」と言ってまた出かけてしまいました。

その後の2時間はひたすら縦になって痛みが増してくる7分を待ちながら、トイレに通っていました。妙に便通が良くなって、2時間で5回くらいウンコが・・・「宿便まで出たぞ!」というくらいにドサドサ出てきて、5回目の「もう何も出ないよ~」という頃には念のためにあてていたパッドに少量の鮮血を見ました。・・・オシルシってやつ?と思って、「もうウーッって唸るくらいに痛くなってから出るんだね~オシルシって~」とVulに言いながら、「いっでで~でででで・・・」と体をよじり、痛い時間も計ってみました。

痛みから痛みまでは相変わらず7分なんだけど、12時までは痛い時間は10秒くらいだったのが、1分くらい痛みが続くようになっていました。要するに、痛くない時間(中休み?)は6分。あ~これが3分間隔とかになるのかなぁ?1分痛くて2分痛くない、みたいな?などと考えつつ、「次に母上が帰ってきたら産院に行こう」と決めて入院セットの確認をしたりしてName母の帰宅を待っていました。


そして15時過ぎ。
母上が帰宅して、「だいぶ痛いよ~、痛いときは立ってるだけで何にも出来ない~歩けない~」と言うと、「じゃぁ破水したりする前に産院に行きましょ!」と徒歩5分なのにVitzで送ってくれました。Vulが付き添っているので母上は「私は夕方に様子を見に来るから」と言ってスグに帰ってしまいました。
朝と同じ分娩室で再びNSTをあてると、助産師さんが「おっ、だいぶんイイのがきてるじゃない?これはもうすぐだと思うな~ワカンナイけど(笑) それと、子宮口はまだ3cm。これが8cmを超えたら分娩準備するからね~、それまで入院する相部屋で頑張ってよう!」と案内してくれました。歩いてる途中で痛みが来たら、止まって痛みが去るのを待ちながら移動~(^_^)

痛みに耐えて大量にウンコしてたから、少し疲れてきた~寝てしまいた~い・・・けど今日中に生まれて欲しい・・・痛いなら早く出てもらってこの痛みとおさらばしたい~とさまざまな欲求と闘いながら、痛くなったらウーウー唸りつつも「Vulが一緒にいてくれて本当に助かったよ~心強いよ~」と痛くない間はフツウに喋っていました。「痛いときは結構痛いんだけどさ、まだドラマみたいにギャーギャー叫んで滝汗かいてる!ってレベルじゃないから、きっともっと痛くなるんだろうな~(ぶるぶる)」と言って、「なぜに痛みには単位がないのか」などという馬鹿げた話題で盛り上がっていました。(←当時そういうネットネタがあった)

後は関東や関西の、生まれるのを楽しみにしてくれている人々宛てに多数の携帯メールを送っていて、「いよいよきたーっ!って感じだよ」とか「天秤座で生めそうです」などと、カチカチとボタンを押していたりしてました。(←余裕?)


入院手続きをしたりNSTをとったりして16時半頃に入室したけれど、18時に「夕食ですよ~」と初めての入院食(←私は27年間入院したことがなかった超・健康体)が出てきたときには、「さすがに痛くて食べられない・・・座って箸を持ってるのが辛い・・・」と言って、痛い時には汗をかき始めていました。その時間くらいには、Name妹が「まだ生まれてない?」と中学の制服姿(←Name妹は2001年は高校受験の年・・・12年離れています★)で、学校からの帰り道に友達と「とりあえず様子見に!」と駆けつけてくれました。「わ~♪急いで来てくれてありがとーっ!生まれてないんだけど、もうかなり痛いのよ・・・こーなったらとっとと出しちゃってスッキリした~い!」などと軽口を叩いていて、「一旦帰宅して着替えたらスグ来るから!私も立ち会えるかな?」とダッシュで帰って行く今はbianに会えるのを楽しみにしてくれている妹が、15年前に生まれた頃を思い出して痛みを紛らわせたりしていました。

そして19時。
着替えて食事も済ませた妹が「にーちゃん(=Vul)も一旦ご飯食べに帰ったら?私が交代するから・・・っておかーさんが言ってるよ?(爆)」と頼もしい発言をしてくれて、私も「多分まだもーっと痛くなるから・・・いざとなっても徒歩5分でしょ?行っておいでよ」と促すと、「今お前のご飯食べたけど・・・まぁ親も来るからいっぺん帰るわ」と言って、朝に連絡したらスグ返事をくれて、高松から橋を渡って駆けつけてくれることになってるVul両親を連れてくるようなことを言って帰宅しました。

しかし、その10分後に「まだ生まれてない?!」とVul両親が登場☆「わーっ!早い!確か16時過ぎに高松を出てましたよね?!飛ばしてきましたか?まだ間に合いましたよ~」と少し汗をかきながら言うと「良かった!もうすっごい急いで来たのよ~今日中に生まれるかしらね?!」と喜んで駆けつけてくれたことが、陣痛と闘っている最中でも、とても嬉しかったです。

その10分後には「いかがですか~?まだみたいやね」とName父も会社帰り姿の作業着で登場。Vul両親と挨拶して「いよいよですね」などと話していたら、助産師さんが「もうかなりイイ感じかな?空いてるから陣痛室に移る?」と相部屋のベッドまで迎えに来てくれました。陣痛室というのは分娩室の隣にある、和室仕立ての広い部屋なのです。続々と集まってくる人が相部屋のカーテンで仕切られたベッド周りに入ってないのを見兼ねて、移動を勧めてくれたのかな?などと考えながら、休み休み歩いて移動。妹・父、Vul両親で4人が一緒なので精神的に心強いです。(^-^)


その後、VulとName母とName祖父(Name父の父)が「まだよね?」と駆けつけてくれたので、20時の陣痛室には私を入れて8人が喋ったり苦しんだり(←コレは私だけ?)してました。
私は1人寂しく生んで、産院の人だけに「おめでとう~」などと言われたくなかったので、ガヤガヤしてて嬉しかったですね!とはいえ、私は会話には入れず・・・(^_^;)妹とVulが傍に居てくれてなんやかやと話しかけてくれるのに助けられつつ、どんどんエスカレートする痛みに「ヒーッ」と滝汗かきながら耐えていました。

「両親が揃って待機してる上、祖父や妹まで居るニンプーって・・・スゴイ珍しいんじゃない?」「眼球が飛び出そうなほど痛いよー」などと軽口を叩くことも忘れず、ひたすらに痛い1分と痛くない2分とを繰り返していたら、隣の分娩室で1人生まれました。私ももうすぐ母親だ~、やっと腹の子とご対面だ~と楽しみにしながら陣痛と闘っていたら、なんだか裂けるような痛みを感じ、「あ・・・なんか違う感じがした。助産師さん呼んできて」とVulに伝えました。Vulは朝からただひたすらに痛みに耐えつつ軽口を叩いて気分を紛らわしている私に付き合っていたので、ロボのようになっていましたが、弾かれたように立ち上がってナースセンターに行ってくれ、スグに来てくれた助産師さんが子宮口をチェック★

「8cmいってるね。早い早い。じゃぁ分娩室が空いたら移動しましょう」と言ってくれたので、「おおっ、じゃぁもうちょっとだ。しっかし・・・1cmや3cmの頃と比べたらやっぱ8cmって違うね~、100万ハナゲくらい痛いよ!」とまた痛みの単位話になって(←鼻毛1本抜く時の痛みが「1ハナゲ」という馬鹿な話です★)、タオルで汗を拭きながら、それでも「私の出産のために、こーんなに皆さんが喜んで揃ってくれて、なんとか今日中に出てきそうで・・・私は幸せなニンプーでヨカッタ♪」とひたすらに感謝していました。

いよいよ分娩室に移動、となったのが、20:45頃でした。
その産院には2つの分娩室があるらしく、隣でも唸っているニンプーの声が聞こえていたので、「どっちが先かな~」などと笑いながら分娩台に上がりました。Vulと妹が頭の上に居てくれるので嬉しい!無事に立ち会ってもらえるなんて幸せ!と私はとても喜んでいて、NSTをセットされたり心音を図る機器を巻きつけられたりするのを待って、「今日出てくれたらさそり座にならないよ~助かった~」などとまだ軽口を叩いていました。10月24日からさそり座。2001年はヘビ年だったので、「女でヘビ&サソリ・・・更にVul譲りのB型だったらどうよ?」と心配していたのです★(^_^;;)

では準備も整ったし!いよいよ分娩ですね~、という雰囲気になったけど、分娩室1の人がかなり佳境に入っているらしく、院長先生は全く来ない。それらしい声は聞こえるけど、私のほうには助産師さんが2人って感じかな~?などと周囲を観察。(←冷静) その後、1からは21:15分くらいに「ンギャーンギャー」と泣き声が聞こえ、「女の子でーす!おめでとーございまーす!」と分娩室1&2に4~5人居る助産師さんたちが騒いでいるのを聞いて、「よっしゃ!次は私やで!」と一気に”産む感じ&生まれた感じ”を掴みました。(^_^)

そして助産師さんが「はーい、頭見えてきたよ~」「もう少しだから頑張ろうね」「呼吸がウマイね」「痛くないときはリラックスして休憩してようね」などとよく声を掛けてくれるし、妹が「すごーい、私なんかが、ここに混ぜてもらえて幸せ♪」とドキドキしながらも色々と笑わせてくれる様子が嬉しかったので、不安はありませんでした。で、21:30に「先生、こっち早く!」と初めて助産師さんが院長先生を呼んだ声で男の先生が隣室からサッとやってきて、「あ、もうスグだね~、あと3回位かな・・・頑張って」と言っただけで、足元で熊のようにウロウロしていたのを明確に覚えています。(←要するに見ただけで、別に何をするでもない?)

21時から私に付きっ切りの助産師さんはたくさん話しかけてくれました。「うん、上手上手!もうすぐだよ~やっと会えるね~」「コレは自然に出るね、破水させちゃうね」「お隣は女の子だったよ!タクシーで駆けつけて、降りるなり破水して、分娩台に上がって15分だったよ~!もうこっちも慌しかったこと極まりない!(笑)でも初産でアレは珍しいよ~」などと、リラックスさせるためにか、笑わせるようなことを言ってくれたりしていました。

対して私も、痛くない間は割りとベラベラ喋っていて・・・(^o^;)

破水させたときも「わ~、ぬるいお湯が出た~すごーい」と感想を述べたり、「胎盤が出たら見せてもらえって母親に言われてるんですけど、いいですか?紫色のレバーみたいな臓器だって聞いたので」とか・・・「初産で15分か~、私はもう40分以上ここにいるよ~あと3回で出るかな~」「頭降りてきた~すごーい、出る出る」「うーっ、もうとっとと出したい~」などと言ってて、「笑いながら産む女」状態でした。(^_^)

先生はというと、来て、チラッと見て、少し待って、「あ、もうイキまなくて大丈夫」と言っただけで、ブリッとbianが出た瞬間に、「はーい、出たよ~!おめでとう、女の子ですよ」と言って取り上げただけって感じ・・・(爆) 助産師さんが「わ~、白くて背の高い赤ちゃんが出てきた~ほーら初めましてだね~」「へその緒、見る?」「今洗ってるからね~、スグ抱っこさせてもらえるから待ってて」「後産が出るから引っ張るよ」などと、また色々と話しかけてくれていました。
感激の余り嬉しくて泣いている妹やVulにも「立会いお疲れ様でした!どう?すごい経験になったでしょう?」「外の人たち(←両親や祖父)はどうしてるのかな?」「はい、写真撮ったらパパも抱っこしてみよっか」などと、ほぼ同時に2人生まれて忙しいはずなのに気を配ってくれて、私としては助かりました。


紙パックのウーロン茶をもらって、分娩台に寝て飲みながら「あぁ・・・やっと出せたね。3556gって大きいよな~いまどき」などとVulと話しながら休んでいると、22時半頃に「お疲れさま!では私たちは帰ります、明日来るからね~」と両親らが挨拶だけにチラッとドアに顔を出してくれて、「ありがとう!」と返事をして明日の来訪を待つことにしました。

その後、入れ替わりで姉も!友達と遊んだ後にわざわざ車を回して来てくれて、「雨で道が激混んでてさ!間に合わなかった~ぐやじー★」と言いながら「Vulもパパだね、おめでとう」などと喜んでくれて、30分ほど分娩室でbianを眺めて、私と話して「また明日来るから!」と帰っていきました。

24時ごろに「そろそろ部屋に移動する?」と助産師さんが車椅子に乗せてくれて、薄暗い廊下を移動。1時ごろまでVulと我が子の誕生に感激して小声で話していたけれど、「ま、俺も今日と明日は休みになったから、もう帰って寝て、また明日くるよ」といって帰っていきました。

私は1人になってしまったけれど、疲れよりも大仕事を終えた感動で興奮していて、ちっとも眠くなかったので、ベッドでまた携帯を出して「無事に生まれたよ!」と30人くらいにメールを送り続けていたら、2時ごろに助産師さんが「どうかな?寝れそう?」と小声で様子を見に来てくれました。そしてカーテンから覗くなり、「メールかいっ!元気やな~(笑)」と言って、「眠れないならミンザイ(=睡眠薬)あげるから・・・嬉しいのは判るけど、すっごい疲れてるんやからちょっと寝たほうがイイんよ」と明るい顔で心配してくれたので、「とりあえず寝ます。おやすみなさ~い」といって手元のライトは消しました。


しかし、その夜の私はまさに「興奮状態」というのがふさわしく・・・出産時にはそういうホルモン(苦しい痛みを伴う出産を、快楽と誤解させる働きがある)が大量に出る、とは聞いていたけど、夜の出産だったので余計に引くのが間に合わなかったのか、結局朝まで一睡も出来ないまま、23日を迎えていました。

退院後に見た母子手帳によると、「分娩所要時間は14時間」「出血は1000mlで”多い”に○」でした。Name母も「だって1リットルよ?!牛乳パック1本よ?・・・輸血とかしないで大丈夫なのかしら・・・」と不安な顔をしていたけど、「まぁ、私が元気だし乳も徐々に出始めてるから大丈夫なんじゃない?」とあっけらかんとした様子に負けたのか、特に騒ぎませんでした。


さて、翌23日ですが。

かなり眠いけどフツウに動ける自分だけの体が嬉しい~と起き上がってみると、体が重い★全身が筋肉痛みたいになってました。これは・・・9時間近く痛みと闘った後遺症?と苦笑しながら、腕だけ動かし寝たまま7時半の検温をし、次に届けられた8時の食事をしようとしたら、座るのが辛いことに気がつきました。これはもしや・・・(・_・;)かなりブリッと勢いよく飛び出していったように感じた、私のbianの生み方が、「会陰裂け」ってヤツをやったのでは?そーいや生んだ後に先生が「ちょっと縫うね~」って言って40分くらいチクチクやってたから・・・ちょっとと言っておいて40分も?と思ったからかなりヒドイのかな~などと考えていたら、Vulが「おはよー」と来てくれました。

早く来てくれて嬉しい♪と思いつつも、「興奮してて全然寝てないんだ~。しかも全身筋肉痛★あと、どうもかなり裂けたみたいで・・・座るのが痛いんだよ~?この座り方さ、痔みたいな感じじゃない?せっかく自分の体に戻って楽だと思ったのに~」と四苦八苦しながら朝食を食べている様子を眺めて、「ふーん・・・そりゃぁ大仕事だから色々あるんでしょうな~ぁ」とじーさんみたいなコメントをくれて(笑)、Vul両親が昼前に来るって言ってたとか、Name母が色々走り回ってるぞとか、連絡をくれました。

その後やっと食べ終わったので、「とりあえずbianを見に行こう」と階下の新生児室に向かってゆっくり移動。初めて新生児ケース(透明プラスチックの箱が乗った小さな移動ベッドみたいなヤツ)にグーグー寝ているbianを窓越しに眺めました。新生児は頭の上の紙に出生日時や出生体重が書いてあるので、「うーん・・・2800g台の子は赤いよね、確かに。助産師さんが白いって言ったから、みんなお湯に浸かっててフヤけてるんじゃない?とか思ってたんだけど・・・確かにbianは赤くないよね」と勝手なコメントをしてしばらく2~3人のほかの赤子と見比べて差を楽しんだ後、「では東京に戻って、また金曜日の夜にくるから」というVulと別れるまで、新生児室や病室をウロついて色々話していました。

昼過ぎにVulが帰ってしまった後、いつでも自由に使えるシャワールームへ昨日の汗を流したくて行った時、脱衣室にあったアナログ体重計に乗ってみたら5kgしか減ってなくて「なんでやねーん!」と1人でつぶやいたり、ニンプーの頃には何でこんなものが?と思っていたドーナツクッションやドーナツ椅子の恩恵にどっぷり預かったり、産院からのお祝いであるフランス料理フルコースディナーを産婦同士で集まって食事する時間を楽しんだり。
お薬は3日分出された子宮収縮剤と抗生物質を飲んでいたけど、子宮の収縮する痛みが強くて23日もなかなか眠れなかったので、その事情を助産師さんに説明した後から飲むのをやめて、さすがに2日徹夜は辛いと思ったので睡眠薬をもらってグッスリ眠りました。


産後の入院生活は5日ほどですが、Vul両親が「おめでとう!お疲れ様!」と高松に戻る前に顔を出してくれたり、Name母が忙しい中を1日2~3回顔を出してくれて要望の品を持ってきてくれたり、Name父が仕事の前後に「元気?」とチラッとだけでも寄ってくれたり、近所に住むVul祖父母が「お疲れ様でした~」と散歩の途中で寄ってくれたり、友達やイトコがお祝いに駆けつけてくれたり、姉や妹が「体調はどう?退屈じゃない?」などと心配して喋りに来てくれたり、実家のお向かいに住むおばーさんが「生まれたんだって?」とお祝いを持って来てくれたり・・・本当に入れ代わり立ち代り、いろんな人がいつも私のことを気に掛けてくれてるんだ~と思うと、感激して泣けるくらいに嬉しい、生まれて初めての入院生活でした。

1人寂しく産んで、入院中も誰も来ない・・・みたいな出産も世の中にはあるのかもしれないけど、私は最もそこから離れた幸せな出産をしたんだろうな~と思いながら、授乳や沐浴指導などを受け、顔エステや洗髪サービスを楽しんだりして過ごしていました。入院費用は35万ほどで、「社会保険から一律30万のお祝い金が出ても足が出るやんけ!」とVulがビックリしてたけど、豪華な3食昼寝付き生活を送って人生最大級のイベントを終えた慰労サービスを受けてるんだから、そりゃぁしゃーないでしょーと思っていました。(笑) 色々とお土産もついて(紙おむつや花や哺乳瓶や粉ミルクなど)、助産師さんがいつでも新生児を見ていてくれて、いろいろと教えてくれる5日間なんだから、そりゃ30万じゃ足りないよね、と言っても、Vulには体験できないんだから一生判らないままなのかもしれませんね・・・(^_^)

という感じで。
とにかく、私は幸せな出産をしました。
bianもとても健康体でした。

私としては申し分なく幸せ100%な状態で、土曜日に退院しました。

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