子宝どっとこむ

 

 ナルシシストの自覚

話をナルシシストに戻します。

私が自分をナルシシストだと強く意識したのは、ドストエフスキーの作品を次々読んでいた大学時代です。ドストエフスキーは私の最も愛する作家で、社会人になってからも、神田書店街に寄っては絶版の作品が並んでいないか探したもので、入手可能な文庫本はほとんど全て所有しています。文庫化されていない作品は、文庫化されていないだけに良書は少ないのですが、それでもフリークとして、図書館の分厚いドストエフスキー全集を借りて読みました。まだ読んでいないのは「未成年」だけです。「未成年」だけは、なんとなく、機が熟したらというか、もっと後に読みたいという衝動があって、読まずに今日まで来ています。

それぐらいドストエフスキーにはまったのですが、何がそんなに気に入ったのかと言うと、徹底的な自虐的表現や自虐的思考方法にしびれたのです。自分を外側から見つめ、客観的に論じるというのではなく、自分を徹底的に否定する、それも皮肉たっぷりに。そうした文章を、舌なめずりしながら読みふけっていました。打ち明けると、恍惚感さえ覚えたものです。

ドストエフスキーの人となりについては私が解説するよりも、ドストエフ好きーのページが充実していますのでそちらに譲ります。あらためて、ドストエフスキーの人となりをおさらいしてみると、私にも通じるところが非常に多いと感じ、ますます愛着が湧きました。

結局、ドストエフスキーを一言で表すことができないように、私を一言で説明するのは無理があるようです。ナルシシストというのは、過剰な自意識という点を表現する言葉だと思っておりますが、それだけでは説明不十分です。但し、やはり『自意識』が出発点なんだろうと思います。そんなわけで、ナルシシストの自我形成について、改めて探究心を強めた次第です。

(追記)

ドストエフスキーについて触れたので、以前のHPからドストエフスキーの論評をごっそり移転させた上で読み返してみました。

4年前の私がどのように世の中を見つめていたのかがよく分かりましたが、今、これと同じ文章を書くことは到底できないと感じました。それは、恥ずかしくて書けないという理由ではありません。「今より当時の方が頭が良かったのか」という錯覚を覚えました。もしかしたらそうかもしれません。とはいえ、「加齢によって退行した」というのとは違います。頭が悪くなることで、当時よりも悟りに近づいたという印象です。

ところで、やはり、ドストエフスキーは私の半生を理解する上で非常に有益であることを再認識しました。これを無視していてはルーツを探ることは適わないでしょう。とはいえ、私でさえ読み返すのがしんどい代物なので、恐らく読者でドストエフスキーのカテゴリーを踏破できる方はいないと思います。踏破したという方がいらっしゃったら、管理人宛にメールしてください。感謝状を贈ります(笑)

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