子宝どっとこむ

 

 『新・日本の経営』と『日本の経営』

先日、ジェームス・C・アベグレン氏の『新・日本の経営』について、簡単な感想を以下のように書きましたが、何が言いたいのか全く分からない感想であるため、ここで、改めてもう少し掘り下げた感想を述べるとともに、『日本の経営』も読み終わりましたので、感想を述べたいと思います。

非常に長い文章で、あまり読まれてこなかったのもうなずけましたが、私は非常に感銘を受けました。「20年後か、30年後、もっと知識を身につけ、物事を正しく見極められる力を身につけた私は、恐らくこういう文章を書いているのだろう」と思いました。K氏は私の文章の調子から、アベグレン氏のこの本を思い起こしたのではないかと思っています。

『新・日本の経営』は、今後数十年を歩もうとする日本企業にとって、非常に示唆に富んだ書物ですが、一見すると、示唆に終わっていて、それ以上は自分で考えるべきところとして、「つけはなされているのかな」という印象を受けましたが、『日本の経営』を読むことで、そうではないことが分かった気がします。つまり、50年前に書いた『日本の経営』において、確かに今でも引き継がれている価値観は維持して今後の展望を構築すべきであるし、一時的だった部分と類似する傾向の価値観については、現代においてもフィルターによって除去した上で物事を見た方が良いということです。いずれにしても示唆には違いありませんが、どう考えるべきかのヒントは、二つの本を合わせて読むことで自ずと分かる仕掛けになっていました。

また、今後の高齢化社会に向けての心構えについても、普段我々が漠然と抱えている不安を払拭するような、勇気付けられる内容があちこちにちりばめられており、日本国籍を取得して、完全に日本人として日本に溶け込むことを選ばれたアベグレン氏のエールをひしひしと感じます。もちろん、エールだけに終わっているわけではなく、目が曇り、日本人が陥りやすい罠についても、警鐘を打ち鳴らしています。

一方、『日本の経営』については、驚かされてばかりでした。短期間で日本のことをこれだけ適格に理解した頭脳の明晰さはもちろんですが、それ以上に驚いたのは、50年前の日本企業では、当たり前とされていたことの多くを、我々が完全に忘れ去ってしまっていることでした。そのため、まるで異国の物語を読むような印象さえ受けました。そして、私にとって一番大事なことなのですが、「私が先般来、2ヶ月に及んで書いた『随筆』の中で主張している『理想の企業組織像』に関する多くのファクターが、50年前の日本においては普通のことだった」という事実です。

そういうわけで、非常に学ぶべきところが多い名著であることが分かり、「50年前の本など読んでも何も得るものはないだろう」という先入観が完全な間違いであることを思い知りました。そればかりでなく、『日本の経営』に記述された50年前の日本と現代の日本とを比較するだけでも、何が行き残り、何が一時的だったのか、どういう変化に進んだのかを知ることができ、「日本の経営学は、この一冊を見直すことによって、相当意義の高い学問分野に発展するだろう」という印象を受けました。更に、『新・日本の経営』が用意されているのですから、至れり尽くせりというわけです。

しかも、サプライズは最後にも用意されていました。現代語訳された『日本の経営』の解説は、神戸大学の加護野教授によって寄せられていたのです。加護野教授の講義に限らず、大学時代のことは、残念なことに、私の記憶にはほとんど何も残っておらず、「一体何のために神戸大学経営学部に入学したのか」と、親や教授に対して非常に申し訳なく思います。

あまりにも情けない学生時代の状況については2004年3月14日の『学歴詐称』2004年3月26日の『成績証明書』に書いてあるので、お時間のある方は、ご覧頂いて笑ってやってください(笑)

そんなわけで、神戸大学の風上にも置けない私ですが、この運命的な本の解説者が加護野教授であったことを知って、小学校のときから、祖父の母校であり、叔父の母校である神戸大学経営学部を目指し、入学したことは大きな意味があったと思うことができました。

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