子宝どっとこむ

 

 整理整頓・清潔

私は、『日本の経営』で、企業と神道の結びつきが強かったことに関心を示し、江戸時代の『お伊勢参り』にも興味をそそられました。また、お盆休みに行った戸隠神社の歴史を読み、昔は戸隠神社が仏教を取り込んで融合していたことを知ったばかりでしたし、そのほかにも、何かと最近やたらに神道に縁のある話を見聞きするので、とても気になり始めたのです。

とはいえ、昔から、仏教については、祖先に対する畏敬の念があったので、多少は敬意を抱いていましたが、神道に関しては、そもそもどんな神なのかもよく分からず、名古屋に住んでいながら伊勢神宮にも行ったことが無く、「神社とは願をかけて、おみくじを引くところ」程度にしか解釈していない不心得者でしたから、「怒りっぽそうな神社の神様は、きっと私などにはばちを与えようとてぐすねひいて待ち構えているに決まっているので、下手にかかわらない方がいい」と本能的に感じて遠ざかっていた気がします。

そんなわけで、神社参拝の手順はもとより、伊勢神宮が何故それほど特別視されているのかさえ分かっていなかった私は、神道のイロハから学ぶ必要がありました。そして、「学ぶといったらまずはWikipedia」ということで、『伊勢神宮』『神仏習合』『神仏分離』『神道』『禊(みそぎ)』『穢れ(けがれ)』『参拝』『祝詞(のりと)』『祓詞(はらえことば)』という具合に、どんどん知識を習得し、徐々に神道がどのようなものであるかが見えてきました。

そして、ある程度の知識を身に付けた上で出てきた感想は、「やはり安易に神に頼るのは良くなく、理解の浅いうちは極力避けていたのも悪くない選択だった」というものがまず思い浮かび、「祓詞(はらえことば)をいずれは暗唱できるようにして正式な参拝の仕方をマスターしよう」という決意が次に沸いてきました。しかし、それよりも大事だと考えたのは、「神道は、世界的に見ても稀なほど、清浄を重んじる宗教のようなので、まずは、整理整頓と清潔を心がけることから始めなければならない」ということでした。

つまり、整理整頓の習慣と清潔の心がけが無ければ、土俵にも上がれないと直感したわけで、今は神頼みする以前の問題です。そんなわけで、会社の机の整理整頓を今後は心がけようと思いますし、かれこれ半年ほど続いている『トイレ掃除』も継続して行きたいと思います。また、2年続いている『自分で散髪』ももう少し頻度を増やして常に小奇麗にしておこうと思います。その他、エリスト購入を契機に習慣になりつつあるお風呂掃除と窓ガラス掃除、水槽掃除なんかも引き続き力を入れていきたいと思います。こうした整理整頓の習慣と清潔感が身についたころには、神道の正式な作法によってお参りするにふさわしい人格となっているのだろうと思います。

本当はもっと書きたいこともあるのですが、眠いので今日はもう止めちゃいます。推敲の足らない支離滅裂っぽい文章で申し訳ございません。

【2006/10/13追記】

上記で、祖先への敬う心があるから仏教には多少の敬意を抱いていたというようなことを述べておりますが、祖先神への崇拝の精神は、仏教ではなく神道であることを、その後理解しました。お墓があり、定期的に法事をするから、祖先への崇拝は仏教の精神かと思っていましたが、むしろ仏教が日本に定着するために、古来からある神道の精神を受容したということのようです。

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 Comments(1)

#1: Posted by Namep [RES]

清潔な暮らしというのは、度を過ぎない限りは日本人の心だと私は思います。
身体も部屋の中も、無駄に飾り立てることもない、手を入れなさ過ぎることもない、適度にこざっぱりしているのが最も美しいと思っている、私達の「共通の美意識」は、今や夫婦の一番の強い共通点なのではないでしょうか?(^_^;)

身奇麗にするようになったこと、非常に喜ばしく受け止めています。人に指図してやらせるのではなく、自分で出来ることは率先してやる、という姿は子供に対しても美しい背中だと私は信じています。

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