子宝どっとこむ

 

 正論を追求する

きっこのブログがホラー作家の坂東眞砂子を糾弾していますが、きっこのブログを読んで一番強く感じることは、きっこが一貫して筋を通し続けているだけでなく、それが正論中の正論であることに対する畏怖です。

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私も長らく筋を通すということを求め続けてはいましたが、最近、例の『随筆』の中で、以下のような考え方を展開していました。

『筋を通す』(首尾を一貫させる。また、道理にかなうようにする。)ということは、今もってなかなか一言で説明をすることは難しいが、「『筋を通す』ことの目的は、信頼関係を築くことにある」ということに気づいた。というか、筋を通し続けることでいつの間にか信頼関係、信用が築かれていることに気がついたといった方が正確かもしれない。つまり、人間社会において最も大切なものは信頼関係であるとすると、それは筋を通し続けることで得られるわけだ。

また、筋を通し続けることは自尊心、自信とも関係が深いと思う。己を信ずればこそ、筋の通らないことを真っ向から拒絶できるわけで、自尊心が低ければ、筋が通らないことも平気で行なうであろう。

自尊心とはプライドとは似て非なるものと考える。プライドは、多くの場合、単なるエゴ・自慰に過ぎず、自意識過剰でナイーブなものでしかない。対して自尊心とは、己を律し、己を裏切らない心であり、その先にあるものは、体内に流れる血を敬う心、血を汚さない心ではないか。したがって、親、子、祖先を敬い、彼らを嘆かせない行動が求められるのであり、敬う相手は己であって己でない。

そういう風に考えると、『筋を通す』ということも、「己の血に問うて恥ずかしくない道を歩む」ということになろう。それでも結局漠然としているし、やはり地道な積み重ねによってしか体得できないことかもしれない。

『筋を通す』ということがいまいちピンとこない人は、まず、己を信ずること、己を敬うことから始めたらどうか。その先に一族に対する誇りがあることを肝に銘じて。

なお、最近特に思うことは、『筋を通す』ことと『手順を踏む』ことの関連性・重要性である。但し、ここで言う『手順を踏む』というのは、単なる手続きを指すのではなく、手続きとして明記していない手順のことを指す。具体的には、助言や回答をもらった相談者に対するお礼、間を取り持ってもらった紹介者に対するお礼、指示を受けた上司に対する報告、指示した仕事を行なった部下に対する労い、直属上司を経由した決裁、権限を委譲した部下を経由した末端への指示、等である。要するに人間関係を良好に保つことにつながるのが『手順を踏む』ことだ。

手順を無視するということは人間関係を壊すことにつながる。世の中には筋を通すに値しない人間も多く存在するし、全ての人間関係を良好に保つ必要はないが、それでも一度は上司と仰いだ者には手順を踏んで関係を絶ち、部下、その他の者に対しても同様に心掛けるのが良い。手順を踏むにせよ踏まないにせよ関係断絶には違いないが、手順を踏まなければ、無用な反感まで生んでしまう。

ところで、『無理が通れば道理が引っ込む』という言葉がある。道理(筋の通った正論)に反することが世の中にまかり通るようなことになれば、道理に適ったことが行なわれなくなってしまうということを指す諺であり、厭世的な場面で使われることが多い。しかし、世の中は必ずしも道理(筋)の通じる者ばかりではないことを肝に銘じ、時と場合によっては無理を押し通すことも必要であることを知っておいた方が良い。無理を押し通し続けることは身を滅ぼすため、伝家の宝刀としてやたらに持ち出すべきではないが、道理(筋)を説いても通じない者に対しては、無理を通して歩みを進めることがあっても止むを得ないものと考える。

結局、まだ見極められていないわけですが、『随筆』を書いてから一月ほど経ち、また、多少考え方が進展しました。

筋というのはいろんな筋があり、坂東眞砂子の屁理屈もある意味筋と言えちゃうのかもしれません。したがって、筋だけ追及していても駄目で、正論を追及しなければならないと理解しました。会社経営というのは情報判断の連続であり、適切な判断を下し続けることが求められますが、そのためには、何が正論なのかが自然に理解できなければならず、判断を誤ると命取りになるわけです。

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