子宝どっとこむ

 

 ぼくのおじいちゃん(1)

祖父を最も愛したのは、弟であると思いますので、私が祖父を語ることが適切かどうか迷っていましたが、私が祖父を愛したことも間違いありませんので、書こうと思いました。「書くのはいいが、ブログで書くことか?」という思いもありましたが、昨日、「まだ見ぬ我が孫、我がひ孫達に、私の祖父がどういう人物であったかを知らせるためにも、ブログで書き記しておこう」と思いましたので、書くことにします。

我が祖父、頼廣辨三は、2003年11月に他界し、享年83歳だったはずですから、1920年、つまり大正9年3月に生まれました。実家は須磨の庄屋だったそうで、本家は農地改革によって多くの土地を召し上げられたと聞いたことがあります。

分家ではありましたが、本家の当主が若くして他界したため、世継の方が成人するまでの間、代わりに家と墓、そして残された土地を守ってきました。

神戸大学(当時は神戸商業大学?)を卒業した祖父は、台湾銀行に就職が決まっていました。当時、台湾は日本の領土であり、台湾勤務が予定されていたそうなのですが、戦争が激しくなってきたことで台湾には赴かず、東京で勤務していました。

戦争がいよいよ軍人だけではまかなえなくなり、祖父は海軍経理学校に入学しました。2年ほど過ぎたころ、「これ以上無い好青年がいる。戦争によりいつ軍艦に乗るか分からない時代だから、今のうちに見合いをしなさい。」と、祖母の親戚のすすめにより、祖父母は見合いをし、結婚しました。

結婚後、祖母は須磨に嫁として来て、家を守りましたが、軍規により祖父の帰宅は許されず、祖母は心細い思いをしていたそうです。

結局、祖父が軍艦に乗る前に終戦を迎えました。8月の終戦から12月まで、祖父は軍の経理のため、引き続き帰宅ができず、12月にようやく帰宅したのですが、そのときの祖母の安堵は計り知れません。

その後、台湾銀行への復職の道が途絶えていたため、神戸銀行(三井住友銀行の前身の一つ)に就職することも検討がなされたそうですが、混乱の世の中で、銀行も安泰ではないとの助言もあり、国鉄の下請けをする建設会社に就職し、経理を司ったそうです。

5年ほどしたとき、遠い親戚が社長を行なっている会社から、経理を任せられる人間が欲しいとのことで、スカウトされました。そこには20年ほど務めたそうですが、経理のシステムが出来上がり、役目は終わったと感じたこと、社長が息子の代に代わり、年寄りがいるべきではないと判断し、その会社を去りました。逆算すると、50歳ごろだったと思います。

そして、最後の奉公先が梶原鉄工所です。ここには65歳になるまでの15年間務めたそうです。つまり、私が生まれた昭和45年(1970年)ぐらいから昭和60年(1985年)まで梶原鉄工所にいたことになります。梶原鉄工所の社長には3人の息子がおりましたが、三男が経理の素質が高いと見て、三男にノウハウを全て伝授したようです。といっても、祖父は、家庭で仕事の話をしなかったようで、詳しいことは分かりません。梶原鉄工所のご子息(といっても私よりずっと年上ですが)は、退職後18年も経過していたというのに、祖父の葬式に弔問に来てくださりました。そんなわけで、近いうちに、祖父の仕事振りについて、梶原鉄工所の方に聞いてみようと思います。

その後、1990年4月から94年3月までの間、私は神戸大学に祖父母宅から通いましたので、親代わりをしてくれました。博学なため、もっといろいろ教えを受けておけば良かったと思いますが、私はドイツ語の宿題を祖父に手伝ってもらうに過ぎませんでした。弟は、名古屋から来ると英語の宿題の手ほどきを受けたり、日本史についていろいろと教わっていました。

私が大学を卒業してからは、祖父はようやく自分のために時間を使うようになり、それまでは、国内旅行が中心でしたが、あちこち海外旅行に行くようになりました。どこに行ったのか、私の記憶だけで全て列挙することはできませんので、後日調べてみたいと思います。

最後の海外旅行はスペインだったと思います。母と叔母が付き添い、いろいろ珍道中だったようです。

最後の国内旅行は、2003年7月の利尻島礼文島へのにっぽん丸での旅行でした。当時、最後の旅行になると予感した祖父は、このクルーズへの参加を企画したのですが、母も叔母もあまり乗り気ではなく、平日に有休をとる必要があることで、弟も妹も参加できなかったのですが、私は運良く休みが取れましたので我が家(私、妻、長女)が参加を申し出ましたところ、母と叔母が参加を表明し、実現しました。

かなり歩行が困難になってきていた祖父でしたが、全ての照準をこのクルーズに合わせ、健康を管理し、実現させました。時々弱音を吐いたりしたそうで、その都度祖母が叱責しながら元気を奮い起こさせていたようです。

船内では、遺産相続に関する話題も祖父の口から出ましたので、相当自分の肉体的限界を感じていたのだろうと思います。

アクシデントもなく、楽しい北海道旅行の写真をマイブックで製本し、祖父に進呈しましたところ、とても喜んでくれました。祖父と、最後の旅行をともにできて、本当によかったなぁと思います。

≪続く≫

 Trackback Pings(0)

No trackbacks found.

 Comments(0)

No comments found.

 Post a Comment

コメント用フィード