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 『人物をつくる』北尾吉孝

先日、会社の書庫を整理していましたところ、北尾吉孝氏の『人物をつくる』が出てきました。4年ほど前、氏の出版を記念して贈呈されたもので、氏のサインがありました。

北尾氏には、6年前、今の会社の最初の仕事の関係で、30分ほどお目にかかる機会がありました。あのときは、私はといえば『蛇に睨まれたかえる』という状況で、とても北尾氏の記憶に残るような才覚は持ち合わせておらず、せっかくの機会を楽しむ余裕も無く、一刻も早く面談が終わることを願っていたように思います。

そんなわけで、北尾氏に対しての印象としては、『怖い』というのがまずあり、更に、ソフトバンクグループに対する勝手な思い込みも重なって、『傲慢』、『成り上がり』、『運が良かっただけ』というような、相当な偏見を抱いておりました。

したがって、4年前に本書を贈呈されたときには、まるで読む気が起きず、書庫に追いやっていたわけですが、先日目にしたときは、北尾氏の人間学がいかなるものかを知りたいと思い、読んでみることにしました。

タイトルの『人物をつくる』という語感から、「思い上がっているのではないだろうか?」と少し思いましたが、中身を読んでみると、そんなことは全くの思い過ごしで、北尾氏が非常に謙虚な方であり(但し、私の定義する謙虚という意味で非常に謙虚だということであり、世間一般に言われている(謙虚と卑屈との区分が曖昧な)謙虚という意味では多少は謙虚だという程度かもしれません)、また、あれだけの実績を残してきているだけに非常に聡明な方であることがうかがい知れました。特に、北尾氏が、「神道」「仏教」「儒学」を大切にしている点が理解でき、「日本の将来は捨てたものではない」と思いました。

本書は、北尾吉孝氏の人となりを理解する上で非常に価値が高いと思いますが、座右の書とすべきかどうかというと、サインが無ければそれほどでもないと思うかもしれません。つまり、北尾吉孝という世俗的な成功者が記した書であることが、価値の根源なのだと思います。

とはいえ、私にとっては、二つの点で非常に役に立ちました。一つは、本書を契機に道元の『正法眼蔵』に興味を持ったという点であり、もう一つは、やはり本書を契機に松下幸之助の『指導者の条件』に興味を持った点です。

もしかすると、北尾氏以上に人間学について優れた見識で記した書物を読み、そこに道元の『正法眼蔵』と松下幸之助の『指導者の条件』が紹介されていたとしても、二つの書籍に興味を抱かなかったかもしれません。北尾氏ほどの人物が絶賛する『正法眼蔵』と『指導者の条件』とはどのようなものか、というのが大きいのだと思います。

本書を読んで心に残ったのは、運命について述べた次の一節です。他にも何度か読めば更にいくつか出てくるかもしれませんが。

例えば、芥川龍之介さんは、『侏儒の言葉』のなかで、こう言っておられます。

「運命は偶然よりも必然である。
運命は性格のなかにあるという言葉は、決して等閑に生まれた言葉ではない。」

「等閑に生まれた言葉ではない」とは、いい加減に生れたものではないということです。これを読んだときに、「それはそうだ。なるほど」と思いました。

運命とはいい加減に生れたものではないという点以外に、「それはそうだ。なるほど」としか解説していないわけですが、それだけに、立ち止まって何度か読み返しました。

運命が性格の中にあるというのは、「なるほど言いえて妙だ」と思いました。これは、すぐその後で挙げた『易経』の「積善の家に余慶あり。積不善の家に余殃あり(善行を施す家には余分の恵みが来る。不善を施す家には余分の禍が来る)」とセットで理解すべきと思いました。

つまり、性格というのは、持って生れた部分、つまり遺伝的な部分と、家庭環境に大きく左右されると思いますが、そうした性格が運不運を決めるということだと思います。素直な心、分かち合いの精神を育む家庭・家系は、その子孫が、運を引き寄せる素直な心を自然に受け継ぐため、運が良いということになるのだと思います。

運というものは、一つは解釈であり、一つは常日頃から運を見逃さない心構えであると思います。素直な心で解釈できるかどうか(ひねくれた解釈をしないかどうか)、好機をものにできる心構えができているかどうか(ぼけっと運が通り過ぎるのに気がつかずにおくかどうか)が重要なわけです。

そうして考えると、「運命は性格のなかにあるという言葉は、決して等閑に生まれた言葉ではない。」ということが、すっと入ってくるわけです。であれば、「運命は偶然よりも必然である。」というのも、まさに真理だということが分かるはずです。

【2006/10/4追記】

そういえば、北尾氏は本書の中で、ご自身が相当な勧善懲悪論者であることを述べており、「世の中は善悪で区分することはほとんどできない」と普段から思っている私などは、かなり違和感を抱いたのですが、北尾氏の人となりや業績を理解するに連れて、時には勧善懲悪が最善である場合もあろうと思うようになりました。

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